近況報告など


大変ご無沙汰しています!
6/2に退院して、早3ヶ月が経ちました。現在、経過超良好、再発・転移無しです!ちょうど1年前の今頃は、「この足、かなりヤバイ事態になるぞ」と言うことが決まり、ちょっと放心状態で、ヤケ酒を呑む気力もなく、ポカンとして現実逃避っぽい生活を送っていた時期です。
それから1年、大好きな夏をこうして外の世界で過ごせていること、そもそも退院出来たこと、本当に心より感謝しています。
今回は、友人知人の皆様へ近況報告と、退院してからの日常生活に復帰して感じていることを記します。



退院して、3ヶ月が過ぎ、ありがたいことに、日常生活に復帰しています!友人知人のみなさまへ、ちょっと業務連絡的な報告としては、


・長年お付き合いしている方と同居するお家が決まり、7月末に無事に引っ越しも完了しました。契約において悪戦苦闘したり色々ありましたが、8月を経て、生活もずいぶん落ち着きました。(引っ越しの応援メッセージ、ありがとうございました!)

・今は専業主婦ですが、引っ越し騒ぎが落ち着いたので、息抜きで趣味の美術館にお出かけをしたり、国内ひとり旅をしたり、お世話になった方々にお会いする機会を作れたり。そんな最近を過ごしています。心配して頂いた方々に、こうしてまた元気に会えること、何よりも嬉しいし、心よりありがたく、幸せです。


・お仕事問題ですが、そんな中、ひょんなきっかけで、お仕事の話が舞い込んできました。長年お世話になっている先輩からのご紹介で、トントン拍子で正式な内定まで頂き、9/9から、正式に勤務することに!勤務地は、おうちからも通いやすい都心です。
内容ですが、なんとこの不器用なわたしが、事務のお仕事をやらせて頂くことに!
わたしは今まで飲食業でしたが、足のことがあるので、復帰する自信が今は無く、かなり悩んでいました。障害者専門の転職サイトなども登録したりして、「就活、どうしよう…」と珍しく不安を抱えていましたが、頂いたお話があまりにも美しい流れだったので、思い切って、異業種への転職、というかたちになりました。
学歴も経験もなーんにもない不器用なわたしで、さらにこの足の状況でも、やらせて頂けるお仕事があるありがたさを噛み締めています。今までとは全く違うお仕事ですが、貴重な学びの場だと思い、誠心誠意働き、これまであまり関わることのなかった人たちと一緒に働かせて頂くワクワクもあり、今は気合い満タンです。
労働条件もビックリなほどわたしにフィットしていて、勤務時間が10時〜と、通勤ラッシュを避けられる時間帯であること、服装自由なのでスニーカーで勤務できる(ヒールが履けないのでスーツじゃなくて本当に助かった)こと、何よりも障害に対して厚くご理解を頂いていること。本当に、感謝です。
飲食業は大好きなので、また近い未来に復帰することと思いますが、いまは、とりあえず、他所で人生の修業をしてまいります!


箇条書きですみませんが、そんな、近況でございます。友人知人のみなさま、直接のご報告が出来ずに、申し訳ありません。
なんとなく、かたちになったので、あとはやってみるのみ!ですね。
なんでも、まずはやってみようと、思います。


近況報告を読みにくい感じで記したあとに 笑、最近感じていることも記録します。


人間の欲望と言うものは、なんて罪深い!と思うほど、どん欲なようです。

無事に退院し、日常生活に復帰したらしたで、やっと自由の身になれた喜びは束の間。退院直後の1ヶ月間くらいは、社会生活の厳しさに、落ち込んだり凹んだり、勝手に辛くなったりしました。

最後の抗がん剤が終わってか4ヶ月近く経ち、今はかなり髪も生えてきました。坊主のめっちゃ伸びかけ、くらいです。

しかし、退院直後は、髪もまだ鳥のヒナ状態だったし、1本杖もついているし、なんというか、見てくれが、まだまだ病人っぽいのです。

病院の中では、まったく気にならなかった自分の見た目が、社会生活に戻ったら、人の視線をビシバシ感じ、(もともと自分は、派手目の見てくれだったはずなのに 笑) 何故か痛烈に、病みあがりを見られている現状や視線に、非常に落ち込み、道を歩けば肩を丸めて、道の端っこを、こっそり歩きたくなってしまう。

あれ?わたしって、こんなに、人の目線を気にするタイプだったの?

と、自問自答をしてしまうほど。


だからと言って、家に引きこもっていれば、楽だけれど、そうすると筋力も体力も落ちる一方なので、なるだけ外に出るように心がけていましたが、出たら出たで、他人の視線が気になる、あれ?本当にすごい気になるんだけど?…。

なんだこれ?せっかく自由の身になったのに。こんなつもりじゃなかったのに。どうしよう。凹むことばっかりじゃねぇか?うわ、しんどー。

とネガティヴサイクルぐるぐる。


しかし、こんな、どうしようも無くなった時も、持つべきものは、友であった!
長い付き合いの親友ははっきりと、わたしに言った。
「あんたらしくない。今のあんたは、めっちゃダサイ。見た目も、内面も。正々堂々、あんたらしく、いたらいい。」
本当に、そうだと思いました。


髪の毛が無かろうが、まつ毛が無かろうが、したいオシャレが出来なかろうが、言葉が見つからないけど分かりやすく言うと、「大多数の人と違う」わたし。


人と違う、今までと違うわたしを、実はまだ、わたし自身が、受け入れきれていないのでした。


今までと違うわたしは、わたしであって、それが、わたしなのである。これからは、この、わたしがわたしであり、わたしはわたしと付き合って生きていくのだ。


こうなったら、「今までとは違うということを正々堂々と生かしていこう」と、確固たる意志が芽生えました。

せっかくつまらない入院生活から解放されたのに、今までと違くなった自分を、いちばん、受け入れられていないのは、誰よりもわたし自身であった!のです。


ビジュアルだけでは無くて、うまく歩けない、重い重い足を邪魔だと思うほど、いっそのこと足が無くなっても良かったんじゃないかと思うほど、不便で不便で、悔しくて悔しくて、どうしようもない気持ちにもなりました。


けれど、退院して3ヶ月が経ち、新しい生活もはじまり、やっとやっと、ありのままの自分を受け入れることが出来るようになってきました。


誰も代わることは出来ない、このありのままのわたしを、わたしはわたしと一緒に生きていく決意を、やっと持つことが出来てきた気がします。


こんなことを書いておきながら、現実とは無情なもので、色々なことが身の回りでは起こっています。
入院中に知り合った方、SNSで知り合ったお顔も存じ上げないし違う病気でもあるけれど、同世代のガンサバイバーさんたち。実は、この数ヶ月の間に、数人、無念にも亡くなられました。


わたしは、18歳のときに、父親を亡くしているのですが、いま、改めて思うこと。



人が生まれる、と言うことは、これからたくさん会えると言うこと。
人が生きる、と言うことは、会う気になれば会えると言うこと。
人が死ぬ、と言うことは、これからもう二度と、決して会えないと言うこと。


大切に思う人に、二度と会えません。それは、死んでいく側の人間からしても、です。


でも、人間は、命あるものは、本当に、いつか、死にます。


父の死はとても大きな出来事でしたが、ぶっちゃけ、当時のわたしは、人が死んでしまうと言うことを、あまりよく分かっていませんでした。


けれど今、自分も死にかけて、こうして治療は終わったけれど、いつ死ぬか本当に油断出来ない状態で、こうしてご縁のあった、大切なガンサバイバーの方々が、次々と本当に亡くなっていく事実。悔しくて悔しくて、でも、わたしは退院出来て、新たな欲望に苦しんだりしていて、


はっきり言って、本当によく分からなくなったりします。


死にゆく方々からしたら、髪の毛無くたって、まつ毛無くたって、杖ついていたって、あんた生きてるじゃん!命、まだあるじゃん!って、説教されちゃいますね。本当にその通りです。


それでも、生かされる者、死にゆく者が、居る事実。現実。


本当に、本当は、全員死んで欲しくないです。すごく、つらいから。全員死なないで欲しいです。
しかし、本当に、いつかは死んでしまうのです。無常すぎます。でもそれが、命あるものとしてのさだめ。さだめとか言ってるのも嫌なんですけど、本当にどうも、出来ない、それが、事実。


まだ、こうして、生かされている者として、自分自身に、そして多くの方に申し上げたいこと。そして、こんな経験をしている自分が、生きる上で、最も、いちばん、大切だと思ったことは、





その人が、その人らしく、生きていること。





なんじゃないかなぁと。


いわゆる健常者、障がい者、話すのが苦手な人、得意な人、美人な人、ブスな人、イケメンな人、太っている人、痩せている人、同性愛者の人、声が大きい人、声が小さい人、意志が強い人、意志が弱い人、病気をした人、病気をしていない人、子どもがいる人、子どもがいない人、、、、


本当に誰ひとりと、この世に、同じ人は居ません。


なので、良いんです。大丈夫なんです。それでいいんです。
駄目な人なんて、この世に1人も居なくて、地球にいる人間、動物植物、命あるもの、全員ハナマルです。


自分らしさってよく分からない、と言う人がいますが、たった今、この瞬間のあなたが、あなたらしさです。
自分探しの旅には行く必要はありません、だって今この瞬間の自分が、自分らしさなんですから!笑


この瞬間のあなたらしさに、改善したい点、納得出来ない点があるならば、出来る範囲で改善すれば良い。それは、チャレンジという名の、別物となります。


わたし自身にも、言い聞かせています。いま、この瞬間のわたしが、尊い、わたしだけの、わたしらしさであり、胸を張って、わたしの人生を、わたしだけが歩んでいける、素晴らしい事実なんであると言うことです。


自分が自分らしく、
その人がその人らしく
って、簡単なようで難しいことだと
思うけれど、


国籍や肌の色や信じているものが、それぞれ違くても、違うだけです。
そこにあるものはただそれだけと言うだけで、

わたしは、その人がその人らしく生きているその事実を、愛おしく、尊いものとして、ずっとずっと、関わらせて頂きたい。道徳的に、人の道を外れていなければ、何をしてもオーケー!何だってオーケー!何が正解かなんて、自分で決めてオーケー!
自分にしかない、たった一度でいつ終わるかわからない人生を、自分らしく、自分なりに、進めていくことが、何よりも大切です。


時にはブレたり、よく分からなくなったりすることもあると思います。好き嫌いがあると思います。

それでも良いんじゃないかな。


人生は、終わりがあります。
終わりを見つめてばかりで、頑張りすぎる必要は無いけど、


わたしは、心から、みんなそれぞれの、それぞれにある、幸せを、願っています。


わたしなりの、みんななりの、人生を、それぞれがそれぞれらしく、生き抜くことを、心より、願っています。


ここまでも、散々、みつをさんっぽいこと言ってきたので、恥ずかしいとかもういいや!笑

最後にわたしから、ひとことは、

みんなそれぞれの大切な人に、あなたが本当に大切で大好きだよって、たまに伝えて下さい。言葉でも、なんでもいいから。


恥ずかしいかもしれないけど、そういう思いが、まじで世界平和につながると、わたしは本気で信じています。

Rei.Kikuchi_ Re:Life

キクチレイの"リ・ライフ" ◻︎◻︎→ ▷ 一時停止ボタンを再生ボタンへ。 ふたつの四角を三角にしていく記録。 2018年秋より、骨肉腫サバイバー。

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