贅沢についてと、新感覚の感動


(長文です!時間あるときに宜しければ。)


治療とは、ひとことで言うと、
「いやなことをすること。そして、おそろしい思いをすること。」だと、
わたしは思っている。
治療して「楽になること」が最終目的だけど、楽になるまでの過程は、たいてい、いやなことや、おそろしいことづくめだ。
年明けの手術後は特に、あまりにもいやなこと("痛い"ということは、いやなことの代表である)があり過ぎて、いやな思いを一生分くらいした(つもり)ので、最近やっと落ち着いてきて、いま、自分の身の回りで起きる出来事は、だいたい「うれしいこと」ばかりである。


うれしい、ありがたい、贅沢だ、のこころのハードルがものすごく低くなっているようなので、先日久しぶりに、熱いお湯をもらって紅茶を飲んだとき、雪山で飲んでる気分だった。あぁ、あったかくて、ありがたいありがたい。なんて贅沢だ、と。しあわせだった。熱いお湯をもらっておいしい紅茶を飲めているこの状況すべてが、贅沢。元気な証拠だ、と思った。ありがたかった。


ずいぶん先だけど、退院して外界の生活に復帰したら、外界のみんなにとっては、何ともない当たり前のことが、うれしくて贅沢に思えて興奮して、毎日発狂してしまいそうだ。
身体的規制や、時間の規制が減り、自由がまちがいなく増える(というか、"自由の復活" !)だろうから、本当に本当に楽しみで、ありがたくて、仕方ない。
たとえば、20時をすぎたら寝る支度をしなくてもいいのだし、勝手にコンビニに行っても怒られないし、何よりも、行きたいところに行ける。


先日、約1ヶ月ぶりに、外気にあたった。院内の空中庭園に行った。とても寒かった。
でも、うれしかった。寒い寒いと聞いてはいたけどこんなにも寒いのか、と。「やっと、冬を感じられた」と思って、すごくうれしかった。季節を身体で感じられたことが、ありがたかった。寒すぎたけど、寒すぎっ!と感じられた、そのことが、本当にうれしかった。



そして、
この病気をして手術をして、あまりにもいやな思いをさんざんしたので、他の人には、なるだけ、いやな思いをしないで欲しいと、あらためて思う。
みんな、できるだけ、しあわせでいてほしいと、あらためて、せつに願っている。自分の子どもに「いやな思いをしてほしくない」と思う親の気持ちが、すこし、わかった気がする。


おおきな話をすれば、戦争や闘争もそうである。
戦争は、ある一部の人たちの「いい思い」のために、無関係の多くの人が、「いやな思い」をする。いやな思いをみずからしたい人なんて、誰もいないはずだ。親が、わが子にたいして、わざわざ、「痛い思いをしろ。そして いやな思いをしろ。」なんて、思わないはずだ。


病気や自然災害は運命的(と言い切ったらかなり語弊があるし批判があるだろうけど)と言うとするならば、戦争は、人工的だ。
人工的に「いやな思い」を生み出すなんて、馬鹿げている。一部の人たちの欲望という「いい思い」のために、「いやな思い」をさせられる人がいるなんて、その仕組みは知性と美しさに欠けあまりにも醜く、人類として、恥ずべきことである。と思っている。



ただでさえ、「いやなこと」は生きている間にたくさん起こり得るのに、これ以上わざわざ「いやなこと」を作るなんて。



いまわたしは、整形外科に入院しているので、
90歳オーバーのおばあちゃん患者と入院生活を共にするということがよくある。
90歳代だと、まちがいなく太平洋戦争をご経験されているわけだが、なににつけ、「ありがたい、ありがたい」「たすかります」「やってもらって申し訳ない」とお礼の言葉を日常的によく発する。90歳オーバーだと、だいたい少しはボケていらっしゃるのだが、病院食が出るたび、歯を磨くたび、オムツをかえてもらうたびに、深々とお礼を言う。
とくに食事については、「ご馳走になった」「無事に、いただけた」と言う感覚が強いようで、「ご馳走さまでした」のフレーズを、しみじみと、深々と、言うのである。
育ち盛りの食べ盛りに、戦争のせいで食べるものに困った、という経験があまりにも強烈な身体の記憶として染み付いているのだろう、と思った。
食べるものが、1日に3回、きちんと出てそして食べられるなんて、本当に贅沢で、しあわせで、ありがたいことなのである。
食べるものに、困ったことのないわたしたちには、決してわからない、ありがたさを感じているのだと思う。



何が言いたいかというと、
太平洋戦争で、想像がつかないほどにずさんな「いやな思い」を経験した、いまの戦争経験者世代の方々の戦後の並々ならぬ努力のおかげで、いまの日本の平和が作られたんだろうと、わたしは確信している。


わたしの話とは比べ物にならないし、わたしの病気や手術なんて、戦争に比べたらササクレ以下のかわいいもんなんだろうけど、

「自分が、いやな思いをさんざんしたからこそ、他の人や子どもたちには、いやな思いをして欲しくない」



という願いは、
日本の平和の基盤を作ってきた世代の人たち(じいちゃんとばあちゃんたち)と、だいたい同じなはずである。
恐縮ながらも、その願いを持つものどうし、自分は彼彼女らと、きょうだいだと思っている。



その想いが、他への平和と安心を願う気持ちにつながり、そしてそれを築こうとするエネルギーになるのだと思う。
そして、ありがたいありがたい。生きていられるだけで、ありがたいと。
そう思うと、わたしたちの毎日は、よろこびにあふれている。


手術をしてわりとすぐに、リハビリが再開された。やっと本番、という感じ。


ここまでの1ヶ月間のリハビリは、

本当に壮絶だった。


いやな思いもいっぱいしたし、
どちらかと言うと、
おそろしいという思いが最強だった。
おそろしすぎて、苛立ち、泣きそうになりながらも、我ながら、まずはここまで、本当によくやったと思う。


いま、わたしのリハビリは、

歩くための下準備

をひたすらしている。



しかし、わたしは、

約5ヶ月間も歩いていないのだ。




歩くという動作は、片足に全体重をかける必要があるのだが、
それがどうしても上手に出来ないのだ。
なぜ出来ないかというと、
身体と脳みそが、

歩くという動作を忘れてしまっている

から、だそうだ。
それがわたしの場合、かなりの弱点となっていて、
それに加えて、手術をして、足の内部が大きく変化してしまっているので、


歩き方を思い出しながら、

新しい足の使い方を身につけていく。


という、
矛盾するような動作を、
訓練して習得しようとしている。
と、文章では簡単だけど、
これが、とにかく、出来ない。


手術前に、「腫瘍用人工関節は、足のなかに義足が入っているようなもんなんだよ」と言われたけど、それは本当だった。義足になったことがないので断言は決してできないけど、たぶん、そんな感じなんだと思う。



膝あたりの"金属感"がものすごく強烈にありまだ慣れないので、不快感や違和感も半端ないし(一歩踏み出すたびに、雨でぐちゃぐちゃにぬれた靴で歩くあの不快感に似たような気持ち悪さが、からだじゅうを駆け巡る 笑)
まだまだ歩いているという感覚も、よくわからず、


とにかく、わけがわからない。



しかし、「わけがわからない」で済む話ではないのだ。




とにかく、

やるしかないのだ。

とにかく、

どうにかするしかないのだ。



そうなってくると、
まずは考え方を切り替えていかなければならないことに気づいた。


「わけがわからないものを、わかろうとする」
ということは、わりかし難しいことであり、それは、大人になると余計に難しいようだ。



わけのわからないことを、「異物」とネガティブに捉えたらおしまい。
わけのわからないことを、「おもしろい」と捉えられたら、なにかがはじまった。


しかし、リハビリは、そこに「痛み」が伴なうため(リハビリはマッサージでは無いのでキツイのが当たり前だけど…)、なかなか「おもしろい」に変換できずに困った。
「痛み」は、いやなこと、おそろしいことだからだ。


そんな時、
日本酒の雑誌を読んでいたら、

「新感覚の感動」

というフレーズが出てきた。



「これだ。」と思った。
感動できれば解決しそうだ、思った。



それまでは、
身体的な、不快感・違和感が強烈にあり、それが先行してしまうため、感動なんてほど遠かった。
しかし、
「達成感」は感じられた。
なので、

達成感を感動につなげることにした。




昨日できなかった動作が、今日はできた。
先週できなかった動作が、今週は、当たり前のようにできるようになった。


気づけば、そういうことが、増えていた。
達成感が感動につながると、
ワクワクしてきた。おもしろくなってきた。


おもしろくなってきたら、
わけがわからないことを、
受け入れられるようになっていた。


もっと、ワクワクしたいと、
みずから、やるようになった。
おそろしさが、なくなった。


治療計画としては、
「2月末には、1本杖で、歩いているようになると思う。」と言われていた。
そう言われて期待していたけど、
とてもじゃないけど、つい先日まで、そんなことは、とうてい無理だろうと思える状況だった。


こんな状態で、、、、



何言っとんじゃ。

ふざけんなっ!ばーか!

って、毎日思っていた。笑



しかし、
先日2/14 に、車イス生活を卒業し、松葉杖生活に戻り、松葉杖を使いながらだけど、ヨタヨタと歩けるようになった。
体重を、2/3 くらいは、かけられるようになった。
膝は、イスや便座にすわれるくらいには、曲げられるようになった。


出来ることが増えた。
いちいち、うれしかった。
うれしいことは、うれしいと、オーバーに感じようと思った。
なによりその達成感が、感動につながり、
この新しい足を受け入れてくことになっていくからである。


そうすると、
「本当に2月末には、1本杖で歩けるようになっているかもしれない」と、
希望がみえた。


どんな時も、希望は必ずどこかには、あるのだ。


今回も、それを、勉強させられた。


どうしようもなくつらいとき、いつも思い出すことは、

「自分は、自然の摂理だと本来死ぬところを救われたんだから、これくらいのいやな思いはしても当然だ。」

ということと、

「歩きたくても、歩けなくなってしまった人がいる。生きたくても、生きられない人がいる。だから、わたしの状況は、本当に恵まれていて贅沢である。」

ということ。



「生かされてる」
と思うと、
文句なんて言ってらんないし、
文句を言えるということは、
本当に贅沢なことである。


"ものごとは、正しい時間をかけて、順当な道をたどって変えていかなくては、絶対に収まるところに落ち着くことはない。人だけが、それをはしょったり、急いだりする。欲のために。"
ーよしもと ばなな




Rei.Kikuchi_ Re:Life

キクチレイの"リ・ライフ" ◻︎◻︎→ ▷ 一時停止ボタンを再生ボタンへ。 ふたつの四角を三角にしていく記録。 2018年秋より、骨肉腫サバイバー。

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