日曜日の午後とラジオ。
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日曜日の午後は、ラジオで忙しい。
TOKYO FM、
「山下達郎のサンデー・ソングブッグ」という、名番組を聴く。
先週の番組内で、
リスナーとのハガキのやりとりの中、
達郎さんが言った。
「過去より未来が大事ですからね、我々は進んでいかないといけませんから。」と。
軽やかに、あまりにもサラッと言うもんだから、
"ほんまもんだなぁ。やっぱスーパーカッコいい人だなぁ。"としみじみ思った。
数日たったいまも、
なんとなくそのフレーズが頭に残っている。なぜならきっと、
あまりにも、
そのとおりだから。
◇
ビョーキをしたから、
よーーくわかったこと。
まさに、
「過去より未来が大事で、
それでいて未来へ進んでいかないとならない。」ということ。
しかしこの文章は、
決して希望だけで溢れているわけではない。
かなりリアルで、良いグロさもある。
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過去は美しい魔法である、と
わたしは信じている。
つらい現実を乗り越えるために、
わたしたちには美しい思い出があるのだと思う。それは魔法に近い。
しかしながら、
「過去と未来のどっちが大事か?」と問われたら、
そんな美しい魔法を捨ててでも、
いまのわたしの答えは、
「未来」である。
生きることは、
未来を実現していくことだと思う。
ビョーキをするまでの人生では、
「未来はいつもあるもの」
だったけど、
いまは、
「未来は進まないと無いもの」
である。
そして先ほどの文章に戻ると、
「進んでいかないとならない」。
そうなんです。
「生きていく」を選んだのなら、
「進もう!(きらきら)」じゃなくて、
「進んでいかないといけません」
なんです。
ビョーキになり、それでも生きていくことを選んだわたしは、
今もこの先も、飽きるほど長い治療をしなくてはならないし、心身ともに痛いこともたくさん我慢しなくてはならないし、治療が終わっても、がんの転移・再発におびえ続けながら生きていかなければならない。もしかしたら腫瘍用人工関節の感染がおこり、脚を切断して義足になるかもしれない。義足になっても、他臓器に転移が見つかるかもしれない。そしたらまた長いこと抗がん剤治療をして、外科手術もして……。
考えたらキリがないほど、
生きていくということは、
複雑で、恐ろしいことづくめだ。笑
でも、それでも、何があっても、どんな身体の形状でも、「生きていく」を選び、我がいのちのある限り、
進んでいかないといけません。
24時間365日、泣くことはできません。かならず涙はいつか止まるように、どんなボールが投げ込まれてもドッヂボールのように受け止めて、なんとか先へ進もうとする・進んでいこうとする、
それが本当の生きていく力だと思う。
そういう力を、つけていきたい。
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様々な理由で、
未来へ進みたくても進めなかった、
亡くなられた方々の想いを考えると、
未来へ進めるという事がそもそも本当にありがたいし、その事実に責任を持ち、かみしめ続けたいと思う。
◇
ビョーキをする前には
「漠然に在った」未来が、
いまは
「漠然には、全然無い」ので、
まずは、10年生きるのが真面目な目標だ。
10年後は39歳、欲を言って40歳。
もし、30代を"人生の旬"と言うのであれば(一生が旬!と言う方に怒られるけど 笑)、
小さくてもいいから、大漁旗を誇らしく掲げられるような10年にしたい。
かならず、10年は生きていたい。
旬のものは旬のうちに、
一度でいいから美味しく頂きたい。
そして欲を言えば、
できれば、"なごり"も少しは楽しみたい。"なごり"の良さも楽しみたい。
そこまでできたら、万々歳。
わたしにとっては、贅沢な話である。
◇
いまやりたいこと。
のれんのかかった赤ちょうちんの居酒屋で、酔っ払っい客のオヤジに「おうっ、ねえちゃん、一杯呑まねぇかいっ」って絡まれて、「大丈夫でーす、1人で呑めまーす(にこっ)」って切り替えして、瓶ビールをドバドバ注いで、くいーってグラス1杯一気呑みして、
「ぷはー」って小声で言って、色々な色々に色々のことに、スッキリしたい。
これも、元気になれば、出来る。
出来る見込みがあるということは、
ちからになる。
photo by MAYAMAXX
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