日曜日の午後とラジオ。

日曜日の午後は、ラジオで忙しい。
TOKYO FM、
「山下達郎のサンデー・ソングブッグ」という、名番組を聴く。


先週の番組内で、
リスナーとのハガキのやりとりの中、
達郎さんが言った。
「過去より未来が大事ですからね、我々は進んでいかないといけませんから。」と。
軽やかに、あまりにもサラッと言うもんだから、
"ほんまもんだなぁ。やっぱスーパーカッコいい人だなぁ。"としみじみ思った。


数日たったいまも、
なんとなくそのフレーズが頭に残っている。なぜならきっと、

あまりにも、

そのとおりだから。



ビョーキをしたから、
よーーくわかったこと。
まさに、
「過去より未来が大事で、
それでいて未来へ進んでいかないとならない。」ということ。
しかしこの文章は、
決して希望だけで溢れているわけではない。
かなりリアルで、良いグロさもある。
過去は美しい魔法である、と
わたしは信じている。
つらい現実を乗り越えるために、
わたしたちには美しい思い出があるのだと思う。それは魔法に近い。

しかしながら、
「過去と未来のどっちが大事か?」と問われたら、
そんな美しい魔法を捨ててでも、
いまのわたしの答えは、
「未来」である。


生きることは、
未来を実現していくことだと思う。


ビョーキをするまでの人生では、
「未来はいつもあるもの」
だったけど、
いまは、
「未来は進まないと無いもの」
である。
そして先ほどの文章に戻ると、
「進んでいかないとならない」。
そうなんです。
「生きていく」を選んだのなら、
「進もう!(きらきら)」じゃなくて、
「進んでいかないといけません」
なんです。


ビョーキになり、それでも生きていくことを選んだわたしは、
今もこの先も、飽きるほど長い治療をしなくてはならないし、心身ともに痛いこともたくさん我慢しなくてはならないし、治療が終わっても、がんの転移・再発におびえ続けながら生きていかなければならない。もしかしたら腫瘍用人工関節の感染がおこり、脚を切断して義足になるかもしれない。義足になっても、他臓器に転移が見つかるかもしれない。そしたらまた長いこと抗がん剤治療をして、外科手術もして……。



考えたらキリがないほど、

生きていくということは、

複雑で、恐ろしいことづくめだ。笑

でも、それでも、何があっても、どんな身体の形状でも、「生きていく」を選び、我がいのちのある限り、

進んでいかないといけません。

24時間365日、泣くことはできません。かならず涙はいつか止まるように、どんなボールが投げ込まれてもドッヂボールのように受け止めて、なんとか先へ進もうとする・進んでいこうとする、
それが本当の生きていく力だと思う。
そういう力を、つけていきたい。
様々な理由で、
未来へ進みたくても進めなかった、
亡くなられた方々の想いを考えると、
未来へ進めるという事がそもそも本当にありがたいし、その事実に責任を持ち、かみしめ続けたいと思う。


ビョーキをする前には
「漠然に在った」未来が、
いまは
「漠然には、全然無い」ので、
まずは、10年生きるのが真面目な目標だ。
10年後は39歳、欲を言って40歳。
もし、30代を"人生の旬"と言うのであれば(一生が旬!と言う方に怒られるけど 笑)、
小さくてもいいから、大漁旗を誇らしく掲げられるような10年にしたい。
かならず、10年は生きていたい。
旬のものは旬のうちに、
一度でいいから美味しく頂きたい。


そして欲を言えば、
できれば、"なごり"も少しは楽しみたい。"なごり"の良さも楽しみたい。
そこまでできたら、万々歳。
わたしにとっては、贅沢な話である。


いまやりたいこと。
のれんのかかった赤ちょうちんの居酒屋で、酔っ払っい客のオヤジに「おうっ、ねえちゃん、一杯呑まねぇかいっ」って絡まれて、「大丈夫でーす、1人で呑めまーす(にこっ)」って切り替えして、瓶ビールをドバドバ注いで、くいーってグラス1杯一気呑みして、
「ぷはー」って小声で言って、色々な色々に色々のことに、スッキリしたい。
これも、元気になれば、出来る。
出来る見込みがあるということは、
ちからになる。
photo by MAYAMAXX

Rei.Kikuchi_ Re:Life

キクチレイの"リ・ライフ" ◻︎◻︎→ ▷ 一時停止ボタンを再生ボタンへ。 ふたつの四角を三角にしていく記録。 2018年秋より、骨肉腫サバイバー。

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