"選ぶ"ということ

「ビョーキを治療していくこと」は、

「様々な選択を求められること」である、

と非常に感じます。

極端なこと言えば、
治療そのものも、手術も、入院も、拒否したっていいのです。それも選択です。

簡単な選択もあれば、
重要な選択もある。
せかすものもあれば、
寝かせていいものもある。

項目をいかに整理し、段取りを組み立て、答えを導いていくか。
まるで、仕事です。笑
ありがたいことに、わたしは成人しているので、自分の意思で選択することが可能です。
そしていま、選択を求められるたびに、

「人生とは何をどう選んでいくか、の積み重ねなんだなぁ」

とずっしり感じています。
そのときに、一般論や世論は、やはり重要だし、最低でも一回はチェックするべきですが、それが正解のすべてではない。

自分が胸を張って"良い"と納得できれば、それが"良い"なんだ。

(このとき、胸を張れるかどうかがポイントで、胸を張れないようならきっと後悔する。)


さっそく先日、「重要なのに早急に」選択しなければならない件があり。
人生に関わるかなり重要なことなので、大騒ぎして、大変でした。笑
(騒ぎに巻き込まれた一部の方々、本当にすみませんでした。そしてありがとうございます。一生の感謝です。)

(詳しくは、「化学療法についてと、多くの人に知ってもらいたいこと【みなさまへ】」のページ記載)
Rei.Kikuchi_ Re:Life

Rei.Kikuchi_ Re:Life

キクチレイの"リ・ライフ" ◻︎◻︎→ ▷ 一時停止ボタンを再生ボタンへ。 ふたつの四角を三角にしていく記録。 2018年秋より、骨肉腫サバイバー。

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