大事にしていきたいこと
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8/15、終戦の日に、よせて。
自分は戦争を経験したことが無いのですが、偏差値が低いわたしでも間違いなく言えること。戦争とは、「まだ生きるはずだった人たちが、たくさん死んでしまった」出来事であり、「人の手によって、人が傷つき死ぬ」という事実、であることです。
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「死ぬのはこわくない。自分に"その時" が来ただけだ。」と、わたしは病気をして考えるようになりましたが、
やっぱり死ぬのは嫌でした。
何がやっぱり嫌かと言うと、いちばんの理由は、死んでしまうと「大切な人に二度と会えなくなる」からです。
もっともっと会っていたいのになぁ、もう会えなくなるのはすごく嫌だなぁと、心から思いました。
なので、わたしは「今はまだ死にたくないです。まだ生きたいです。」と、つよく思いました。
幸い、いつも応援してくれるみなさんのあたたかい願いや祈りのおかげで、又、ドクターたちの秀逸な技術によって、「まだ生きたいです」というわたしの意見を、願う通りに、実現することが出来ました。
なのでわたしは今、生きているだけで、わたしの願い事が、叶い続けています。なんという幸せ。
そして「まだ生きたい」と言うことは、わたしは「今はまだ死にたくない」のだ、と、はっきりと、確認しました。
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しかし歴史の中には、「まだ生きたい」と考えている人が、死んでしまうという、悲痛な出来事がたくさんあります。
自然災害、病気、不慮の事故。
ここでわたしが問題に思うのは、"人の手によって"、「まだ生きたい」と思っている人が死んでしまう、という出来事が、いまだ、日々世界中で起こっていると言うことです。
殺人事件や、大きく言えば、戦争です。
どうして?
です。
わたし、原因不明の病気だったので、人為的ではありませんが、それでも死にたくなかったです。
手術は避けられなかったので、手術しましたが、めちゃくちゃ痛くて、痛いって、本当にすごく嫌なものです。
今後も歩きたかったので、歩けるような手術をしてもらいましたが、病気のせいで、歩くことが不自由になり、歩くたびに、いまだに「あーもうっ!病気のバカヤロー!不便にしやがって!」と思わなくもないです。
それらがぜーんぶ、人為的に与えられたれたとしたら…。
今でさえこんな気持ちになっているので、おそらく自分は、やっていけなくなると思います。
…と、
すごーく当たり前な内容を書いていますが、よぉーく想像したこと、皆さん、ありますか?
「自分がされたら嫌なことは他人にしない」とか、「痛いってすごく嫌なことだから他人に痛いことしない」とか、「死んじゃったらもう二度会えない」とか…。
わたしは病気をして、本当に思い知らされました。
「わかってる、わかってる、そんなこと、子どもじゃないんだからわかってるよ。」なんて、思ってましたが、
わたし、
わかりきっていませんでした。
だから、わたしが病気したのは、神様仏様が、「ちゃんとお前マジで分かれよ」ってことだったんだろうなぁと、わたしは真剣に感じています。
(いじめをしたり、暴力を振るったりはしたことがありませんが、わたしの人生全体が、ぬるかったのです。五体満足で生きているのが当たり前だと思っていたのです。)
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ほとんどのいきものには、「わたしの大切なもの(ひと)」があるはずです。
昔飼っていた犬、ゴールデンレトリーバーも、その犬にとって「大切にしているもの」がありました。
大切なものって、今もこれからも、ずっと大切にしたいと、自然と思うものです。
みんな一人一人に、大切なものやひとがある、と言うことを、お互いに大切にしていけば、戦争とか暴力や殺人が無くなるはずと、わたしは信じています。
それでいて、ものごとは、もっと効率的かつ生産的になりそうだし、そして何よりもお互いに、嬉しくて、あたたかくて、やさしい気持ちになることが増える世界になるのではないかなぁと考えています。
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人生は、有限で、全員に、終わりがあります。終わりが「いつ」かは、誰も分からないけれど、
人為的に、勝手に、人の人生の終わりを他人が作ることは、決してあってはならないです。
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74年前、
わたしが歩いているこの場所で、
急に人生が終わってしまった人、急に大切な人が大量に居なくなってしまった人、そんな人がたっくさん居たという事実(史実)。
こんな稚拙なBlogで語れるはずもないし、語れる立場もわたしには全く無いけれど、ちょっとだけ重なるように感じた部分を、記録させて頂きました。
(8/15 おうちの近くの金魚と鯉の池)
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