スペシャルサンクスってやつ!


まだ入院していますが、退院が来週末になりそうです。
このBlogを読んで下さっている、
すべての方へ。お一人お一人へ、胸いっぱいの感謝をお送りしたいです。


それが大前提で、
さらに、特別な感謝をお送りしたい人たちへ。気が早いけど、この場を借りて。


わたしのとくに近くで、一緒に走って下さった、彼彼女たち。
本当に、お疲れ様でした。
本当に、たくさん頑張って下さいました。
本当に、ありがとう。



【お母さん】
うちの母は、わりとヤバイんですが、手術の直後、頼んでもいない干し芋をひたすら持って来たあの粘り強さ、わたしは一生忘れません。
母は機械オンチなので、このBlogも、教えたのにやっぱり読んでないようなのですが、母は母らしく、看病してくれました。
ほんとに血が繋がっているのか?と思うほど、意見が合わずに、病室ではケンカばっかりしていました。が、手術の翌日にあれだけ喋ったわたし。あの痛みの中でよく喋ったなぁと、今改めて思います。あぁそうなるとやっぱり、お喋りなあなたの娘なんですね。
大っ嫌いだけど、大好きです。
早く安心させられるように、精進します。



【お姉ちゃん】
都内に住んでいる唯一の家族、という事で、本当にお世話になりました。
(他の家族は地元栃木県に住んでいて、わたしは都内の病院で治療をしていました。)東京の端っこから、連日、本当によく駆け付けてくれました。あなたのその心のタフさ、いつも圧巻です。

姉との輝くエピソードはいくつもあるけれど、一生忘れないだろうなという話のひとつ。
手術後の数日間は、人の手を借りなければ、着替えも身体を拭くことも出来ませんでした。気持ちとしても、本当にいちばんツライ時期で、そんな中、見舞いに来てくれた姉に、着替えを手伝ってもらいました。わたしは、本当に、情けなかった。ひとりではパンツさえもうまく履けないので、もちろん丸出し状態。でも、そんなこと、なーんにも気にしてないよ!って感じで、姉は揚々と手伝ってくれました。「仕事で子どもらのおむつ交換するから、それといっしょだぁ〜 笑 」って、笑ってくれて、わたしは、助かった。
そうそう、わたしのお姉ちゃん。これが、わたしのお姉ちゃん。と嬉しかった。そのときもし、痛そうね可哀想ねって、本気でしんみりされたら、わたしが困ったから。
なんとも言えない、姉妹の不思議な連携。空気感。
だから、わたしたちがあと何十年か経って、ヨボヨボのお婆さんになって、ひとりでパンツもうまく履けなくなったときは、いつでも履かせに駆け付けるよ、と、わたしは胸に誓った。



【おとうと】
うちの父は、父が敬愛していた忌野清志郎と赤塚不二夫が亡くなった同じ年、10年前に、他界しました。酒の飲み過ぎでした。
そんな、主が居ない、わが家族を、どしっとかまえて、冷静に、おとうとがいつも守ってくれています。ここぞという時に、やっぱり頼りになるって、本当にかっこいい。だから、年下だけど、今もいつも、頼ってばっかり。ごめんね。本当に、感謝してます。
わたしのこの病気が分かって、治療するってなったときも、おとうとがいちばん、冷静でした。その落ち着きっぷりには、びっくりしました。おとうとも、大人になったんだなぁと、しみじみ感じました。なんちゃって姉として、その姿が、すごく嬉しかった。
病気が分かったあの緊迫した残暑の日々。おとうとなりに、細々と、気にかけてくれていたんだなぁと、後になって気づきました。
男のやさしさって、女には、分かりにくかったりするもので。笑
でも、やさしい男子に育っていることがよくわかって、姉ちゃん本当に、嬉しい。
これからも、やさしくてかっこいい男子でいてね。



【未来の旦那さん予定のKさん】
病めるときも健やかなるときも、
とは本当にこのことで、まさかの現実に、もはや笑ってしまいます。
最初から、最後まで、そして今も、ずっと側で見守ってくれている人。

転職して新天地でたった1人、暮らし始まってすぐに、膝が痛くて痛くてどうしようもなくて、仕事帰りの夜道を、泣きながら「膝、すごく痛いのよ。どうしよう。」って電話したあの夜のこと、一生忘れません。すべてはあの夜の、あのKさんとの電話で、腹をくくって病院に行くことを決めたのでした。あの夜の電話が、この治療のはじまりでした。
この7年間?くらい、くっついたり離れたりなんだり、いろいろあった自分たちでしたが、毎週病院に通ってくれたのは、あなたひとりだけです。この8.5ヶ月間、あなたはすべての休日を、病院に来ることに費やしてくれました。
いろんな醜い姿もたくさん見せてしまったと思います。それでもめげずに、
会いに来てくれました。あなたのその、淡々と黙々と、何かを継続する力、いつも尊敬するし、感謝しています。
わたしの髪が無くなったり、食欲旺盛で 7キロも太ったり 笑、女らしさなんてどこかへ飛んで消えていっても、そんなことぜーんぜん気にならないよ!って感じで、当たり前のように、わたしのありのままを、いつもすべて受け入れて下さいました。その姿勢は、まるで、お地蔵様みたいでした。
極端言ったら不良品みたいなわたしですが、それでも見捨てずにいてくれて、本当にありがとう。改めて、これからも、よろしくお願いします。

(こんなことをこんな場所に書いたら、本当に怒られるだろうなぁ。彼はとてもシャイなので、この話は見なかったことにしてあげてくださいね!)



【東京のマイファミリー、K下 ご夫妻】
本当に お世話になったし、いまもお世話になっています。いつも頭が上がりません。(わたしは、勝手にファミリーと思っていて、すみません。)
東京の病院で治療すると決まって、本当の家族のように、いつもわたしのことを気にかけて下さったご家族が居ます。以前勤めていた職場の、オーナーご家族です。
「都内に居るから、何かあったらすぐに駆け付けるよ!」という姿勢をいち早く示して下さり、そして何よりも、本当の家族のように、わたしの治療について真剣にいっしょに考えて下さいました。

治療がはじまってすぐ、「もしかしたら足を切断するかもしれない」という話が浮上し、悩んでいた時、文字通り、駆け付けて下さいました。
他人同士なのに、その行動力や、その
お気持ちが、本当に本当に頼もしくてありがたくて、その時のわたしには、それが唯一の救い、みたいな状況でした。「あぁこの人たちが居てくれるから、何があろうと、ちょっと大丈夫な気がする」と勝手にいつも思えました。
こんなに頼もしい他人が、ふつう居るだろうか?わたしはなんて幸せなんだろうと、とにかく頭が上がらないのである。
こんな時代になってしまったから、「余計なお世話」だとか、「おせっかい」だとか、ブチブチ面倒臭いこと言う人も居るのはわかる。けれど、逆を言えば、他人の世話までできる器のデカイ人がどれだけこの世の中に残っているだろうか?とも思う。このせわしない世の中で、隣の人のことまで気にかけて、困っていたら本当に実際に手を差し伸べることが出来る人がどれだけ居るだろうか?他人のことを自分のことのように、頭も心もフル回転に使って真剣に考えられる人がどれだけ居るだろうか?「うちの子よその子みんなの子」という標語が昔あったけれど、そんな時代ではなくなってしまったのはわかる。けれど、やっぱり、人として誰かに優しくされるのは嬉しい。本当の娘のように、家族のように、接してくれたら嬉しい。だからこそ時には叱られる。同情ばかりしてくれる訳ではない。でもそういうふうに、他人を的確に叱ることが出来る人が、この世の中にどれだけ残っているだろうか?とわたしは思う。

うまく言葉に出来ないけれど、そんな感じで、とにかく大きな大きな頼もしい存在なのである。そして、昔も今も、情けなくて恥ずかしくて忘れてしまいたいくらいに、わたしは面倒をみてもらっています。
本当の家族ではないからこそ、言えることもいっぱいありました。
本当の家族では助けられないことを、助けてくださいました。
そんなふうに、粋で、かっこよくて、でも下町みたいに人情味あふれる「気持ちの広い人」が、また世の中に増えたらいいなぁと、わたしは、永遠の憧れとして思い続けていきます。かわいい小学生の坊ちゃんや、女神のようなおばあちゃまも、一族ひっくるめて関わって下さいました。本当にありがとうございます。そしてこれからも、なにとぞ。


【女友達たちとN.Kさんたち】
T田さん、T田さんのママ、M.Y ちゃん、Mにゃん、Y子さん、N.Kさん!
退屈な入院生活中に、こまめに連絡をくれたり、こまめに会いに来てくれたりしました。改めて、本当にありがとうございました。

この長く楽しくない入院生活中、しみじみ思ったことのひとつが、「持つべきものは友である!」ということです。本当に、友だちがいて、よかったなぁ助かったなぁと、涙が出ます。
見舞いに来てくれて、いつもみたいに、くっだらないバカ話をしたり、何かの話題でキャーキャー言ったり、恋バナしたり、グチったり、人生を語ったり。
わたしのほとんどすべてを知ってくれているので、わたしの好きなことや好きなものもよーくわかってくれている。
わたしの立場は病人だったけど、その人たちとおしゃべりしていると、病人であることを忘れられる、貴重な楽しい時間でした。本当に、友だちがいて、よかったなぁとしみじみ感じました。シンプルに、そう感じました。

そして、退院したら、彼彼女たちと、たっくさん楽しいことをしたいなぁと、今から、ワクワクしています。
この度は、長い間、心配かけてごめんね、またたくさん遊んだり、ごはん行ったりしようね!そんでいつもと変わらず、バカ話して、ゲラゲラ笑おうね。よろしくね。


まるでバンドメンバーのような、そんなやさしい人たちが、いつも近くで実際的に手伝ってくれました。
わたしの退院ではあるけれど、素敵なメンバーたちの存在を記録するとともに、彼彼女らへ、盛大な拍手と、ねぎらいの言葉をぜひ送って頂けたら、わたしも嬉しいです。


とにかく、
大変、大変、お疲れ様でした。
心から、スペシャルサンクスです!

Rei.Kikuchi_ Re:Life

キクチレイの"リ・ライフ" ◻︎◻︎→ ▷ 一時停止ボタンを再生ボタンへ。 ふたつの四角を三角にしていく記録。 2018年秋より、骨肉腫サバイバー。

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