日常とは、しあわせとは
2019.05.10
夕食後にちいさな用事があったので、いつもは通らない、病院内の吹き抜けの渡り廊下を、久々に歩きました。
初夏のにおいのする、やわらかくてほんのり温かい風が、360度に吹いていた。
前代未聞の大型連休明けの、気だるい1週間をやっと終えて、近くて遠くにある街は、ふだんの金曜日の夜を迎えたことに安堵しているようである。
そんな、なんでもない初夏の夜を、居心地よく感じられて、風の匂いが気持ちよくて、心が温かくなりました。
こういう、瞬間的かつ些細な幸せを、決して見逃さずに、たっぷりと感じられる心の余裕を、この先もずっとずっと忘れずに、大切に持ち続けたいと思って、胸がぎゅっとした。
◇
前回の記事からあっという間に1ヶ月が経ってしまいました。ごめんなさい。
わたしは、とっても、元気です。
この1ヶ月は、相変わらずの毎日のリハビリ、そして抗がん剤治療も第8回目(イホマイド24時間8日間点滴)を無事に終え、そして迎えた10連休。
ちょうどタイミングよく、身体を休ませる期間と病院の連休が重なったので、後半4日間、3泊4日の外泊許可が出たので、外泊をすることに!
大晦日以来の外泊。
ありがたや、ありがたや。
(10連休はじめに、SNSで「ゴールデンウィークもお留守番入院」と言ったのに、結果、嘘になりました。お留守番チームのみなさん、嘘ついて、ごめんなさい。)
・
知り合いのお店で美味しいものをたらふくいただいたり、都内をくるくる遊び回ったり、大好きな人たちにたくさん会うことが出来ました。
足は、大丈夫でした。
なんとかなりました。
電車も、バスも乗った。乗れました。
デパ地下の人混みも、大丈夫でした。
階段は、幼い子どものように一段一段の方法ですが、登り降り出来た。
サバイバルなことだらけでしたが、
困ることは、ありませんでした。
逆を言えば、
「日常生活は、なんとかオーケー」
というレベルには、
足が成長したようです。
なんとか、ここまで、きた。
なんとかなる、ところまでは、きた。
(近々、歩いている動画を撮って、またアップしますね!)
やっとやっと、外界での生活が、リアルなものに、なってきた!
(今回の外泊で、ご協力頂きましたみなさまへ心より感謝を。
また、今回伺えなかった・お会いできなかったみなさま、近々突撃しますので、ご覚悟のほど、宜しくお願い申し上げます!)
◇
歩行がマトモになってから、
はじめての外泊。
一本杖だけど、ひとりで歩ける喜びは、やはり大きくて、活動範囲も広がって、行きたい場所にもほとんど問題なく行くことが出来るようになった。
行きたい場所に、自分で歩いて、行くことが出来る。そのすべての状況に、3泊4日の間、胸がずっと高鳴っていた。
本当に、久しぶりに、「お出かけしている」という感触があった。
それはまるで、浦島太郎の気持ち。
もしくは、田舎の人(わたしもド田舎者)が、大都会に遊びに来たときのような気持ち!楽しくて楽しくて、仕方なかった。
でも。
いちばん幸せに感じたことは、
大都会の散策でも、観光でも、ショッピングでもなく、もっともっと人間くさいことだった。
・
3泊4日のうちの2泊を、知人の家に宿泊させてもらった。
ふつうの、アパート。
ふつうに暮らす、ご近所の人々。
朝、ゴミを出して、庭の手入れをするおばあさん。
朝の散歩をする、老夫婦。
歩く犬とお父さん。
つっかけサンダルを履いて、寝ぐせ頭でコーヒーを買いに行くおばちゃん。
とてもよいお天気で、
休日の遅めの朝を、きらっきらの太陽の光が斜めにさしていた。
夕方には夕方の景色があって、
子どもを前後に乗せた、スーパー帰りのママチャリのお母さん。
デート帰りに夕飯の買い物をする若いカップル。
そして街に漂うおいしい台所のにおい。
夜道には、季節の花々が、つよく・うつくしく、たっぷりと香っていた。
ああ、すべてが幸せだ。
わたしは、幸せだ。
と、泣きそうになったのを、
その度に、ぐっと、こらえた。
(病院に戻った今でも、それらを思い出すと、涙ぐむほどである。)
◇
「幸せのハードルは、低くした方が幸せなようだ」と、前に申し上げたことがありましたが、
病気をすると、勝手に、自然に、ハードルが低くなるようだ。
「ああ幸せ」と感じるハードルが低いので、24時間ほとんど幸せな気持ちでいるもんだから、怒りや苛立ちが湧いてこない。
「ああ、ありがたい、ありがたい」と繰り返し、心がつぶやいている。
たとえ苛立っても、苛立ちを迂回させる心の余裕がある。
今までだったら、怒ったままに、ありのままに、怒りを表現していたけど、ひと息いれることが容易に出来るようになった。
生きて日常生活を送れているその事実、ただそれだけで、ほとんど幸せなので、ちいさな問題にいちいちピリピリしなくなった。
・
入院生活が8ヶ月目に突入して、
たまに外界に出て感じること。
それは、
病院には生活感はない、ということ。
やはり、病院は、日常ではない、ということ。
入院生活が長くなり、外界の生活から離れてしばらく経つと、やはりある程度は麻痺してくるようだ。
病院での非日常の生活が、日常となってきてしまうのだ。
でも、わたしは、この非日常を日常としたくない。
(戦友のみんなも、そうだよね。そりゃ、そうだよね。早く、みんなで、脱出したいよね。)
だからこそ、
作り物でない、ありのままの、人々の暮らしの営みを、久しぶりに目にしたとき、久しぶりにそこに自分が溶け込んだとき、
ああ、わたしの日常はこっちだ。
と、心がつぶやくのだ。
あぶない、あぶない。
病院の生活が、日常になりそうになっていた。と。
そして、
人々の、ありのままの日常が、
あまりにも人間くさくて、
本当に本当にいとおしくて、
人間がもっとも人間らしく生きているなぁと感じられて、
なによりもそれが嬉しくて、すべてが恋しくて、胸がきゅーっとなって、またわたしは涙ぐむ。
そして、
みんな、いつも通り、生きて暮らしていてくれて、本当にありがとう。と、さらに涙ぐむのである。
◇
古書街で有名な、都内のとある街は、古書とともにカレーが有名な街でもある。
休日に1人でのんびり古書街を楽しんで、小腹が空いたらカレーを食べる。そしてまた古本をあさりに出かける。そんなおじさんがたくさんいる。
買った古本だろうか、文庫を片手に読みながら、カレー屋の列に並ぶおじさんたち。
そんな列の間に、わたしも並ぶ。
その光景とその背景を想像して、
ただそれだけの、その街の休日のいつもの風景に、まさに「まぎれこんだ」わたし。
言葉にあらわせない、なんとも言いようのない感激と感動で胸がいっぱいになって、カレー屋の列に並びながら、わたしは涙がこぼれないように上を向いていた。
一本杖を持つわたしに、
文庫を片手に持つおじさんたちは、
みんなやさしかった。
髪の毛はすべて無くなって、
左足はびっこひきになったけど、
それでもわたしは、
こっちの世界に帰ってこられた。
やっぱりこっちが好きだ。と、
ありがたさで、本当に泣けた。
◇
巨大な感動と、幸せと、励ましを
本当にどうもありがとうと、
みなさんに心から申し上げたい。
みなさんの、なんともない日常に、
こんなに力をもらっている人間がここにいます。
いとしい いとしい、みなさん。
これからも、人間らしく、人間くさく、ありのままに、なのに知らぬ間にきらきら輝いて、すこやかに生きて暮らしてください。
あなたが生きてるだけで、こうやって、わたしは幸せになります。
本当にありがとう、そして、これからも、どうぞ、よろしくね!
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