障害って?
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(前の記事に、「次の記事には手術内容の詳細を書くよ!」と言ったけど、ちょっと小話、挟ませてください♡)
2019/1/10 の手術によって、
わたしは、身体障害者デビューをします。
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手術の直前、5日前に手術方法が最終決定しました。
それ以前の3ヶ月間は、
左足の大腿(ふともも)切断の可能性もある、という現実を、背負って暮らしました。
そして今後の人生において、切断する可能性も無くはないと知り、
「切断・義足」について、この3ヶ月間、出来る限りの勉強しました。
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ありがたいことに、
今の時代、SNSでは、義足ユーザーの投稿をリアルタイムに拝見することができます。
わたしのInstagramのタイムラインでは、日常的に、義足ユーザーの投稿が流れてきます。
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(以下は、炎上覚悟で、書きます。)
はっきり、素直に言って、
最初は、ゾッとしました。
義足ユーザーたちの、足が無い姿に。
さらに、
入院生活では、
下腿(ひざ下)切断をされた女性患者さんと知り合いました。(彼女とはチョー仲良し。)
ホントのホントの素直な気持ちを言ってしまうと、
彼女に会った当初も、
下腿の無い彼女の姿は、
ショックだった。
そして、「あぁ、わたしも、そうなるのかもなぁ 悲」と思い、
足が無いこと=悲しいこと
と感じていた。
障害のある人=かわいそう
と思ってしまっていた。
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ですが。
はたして。
障害があると、かわいそうなんだろうか?
てゆか、そもそも、障害って、なんなんだろうか?
と、いまはとても思う。
◇
以前、入院中ではあるけど、外出許可をもらって、松葉杖で外出しようとした際の出来事。
「電車で移動する体力と自信はあるけど、わたしは良くても、(松葉杖のわたしという存在が)周りの人の邪魔になるから、タクシーで移動する予定です。」
と、リハビリの先生に言いました。
そしたらリハビリの先生は、
「その考え方は、間違っています。松葉杖の人=邪魔ではないです。痩せてる人がいて、太っている人がいて、松葉杖の人がいて、松葉杖じゃない人がいて、ただそれだけのことです。電車に乗る権利は、身体が不自由な人にも平等にあります。」と言ってくれた。
◇
「ふつう」ってなんでしょうか?
ビョーキになってから、ずっと問いてきましたが、
「ふつうは、無い」んだな、と、最近やっと、わたしは思いました。
ふつうは、こうだ。
ふつうは、こうする。
ふつうは、やらない。
大多数の意見から産まれる「ふつう」というレールがあることは自然的なことだと思うし、レールがないと社会的にうまくいかないこともあるとは思う。
でも。
ふつうじゃない人にふつうを押し付けることは、しないでほしい。
ふつうじゃないのを、ふつうじゃないという目で見るのを、しないでほしい。
それよりも、
「なにか手伝うことはあるかな?」
という気持ちで関わってほしい。
「かわいそう」じゃなくて、
「どんなあなたも素晴らしい」
という気持ちで関わってほしい。
◇
こんなカッコつけたこと言ってるわたし。前述した通り、ついこないだまで、
「ふつうじゃない=かなしい、かわいそう」と思ってしまう、低レベルな人間です。
ただ、これについては、
島国で単一民族である日本人。DNA的に仕方がない部分もきっとあるんじゃないかとも思っている。(←DNAのせいにするわたしの性格の悪さ…)
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君は君、わたしはわたし。
ただそれだけのこと。
身体が不自由だろうが不自由じゃなかろうが、
困っている人がいたら、手伝う。
ただそれだけのこと。
違いを忌み嫌うのではなく、
違いを楽しみ合えるように。
全員、なにかは、違う。
本当に、ただ、それだけのことだと、わたしは、思う。
(みなさんは、どう感じますか?)
photo by 俺 @8階のお庭
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