"数字" の感じ方
交番の窓ガラスに、
「昨日の交通事故」
という看板がある。
「件数」「負傷」「死亡」と、
表示が続く。
「死亡 1 」
の表示が目に入ったとき、
一瞬、ドキッとするけど、
30秒後くらいには、
わたしの意識はもう別のところへ向かっていく。
不謹慎ですが、
わたしは
だいたいいつもそうである。
・
先日、
わたしという「1」つの生命の
"存続危機"を発表したら、
たった3日間で
200件=200人くらいから
何かしらのご連絡を頂き、
このBlogの閲覧数の合計は
3000件にのぼりました。
(心から、心から、お礼を申し上げます。)
・
3000という数字の
うちわけを分析することは
特にしませんが、
信じられない数の方が、
「1」つの生命について、
気にかけていて下さる
という、その事実。
・
・
「1」つの生命に対して、
それだけの数の人を巻き込み、
それだけの数の物語が生まれている。
痛いほどに感じました。
(涙が出てしまうよ、とメッセージをくれる方が何十人もいた。他人のために泣けるって、すごいエネルギーなはずです。泣くだけでもエネルギー使うのに。さらにそのエネルギーが、100%わたしに向けられてるって、とんでもなくものすごい話だと思う。)
そして、
数字の「1」の重みを
こんなに感じたことは
これまでになかった。
・
今後わたしは、
交番の窓ガラスの看板を見たときに、
たぶん、
一瞬、
立ち止まるだろう。
◇
わたしは、
3 きょうだいの真ん中なんですが、
上には姉がいる。わたしのきょうだいは、かなり面白いヤツらなので、わたしは大好きだ。
先日、記事に書いたとおり、
わたしは現在ビョーキのおかげで、
「10年後の生存率は70%」
と言われている。
「70%」って、低いな。
とずっと感じていた。
そのせいで、絶望も一度はした。
しかし。
姉がわたしに言ったのだ。
うっかり聞き流してしまいそうなくらいにサラッと。
「え、70%って、低いの?高くない?半分以上じゃん。」
と。
わたしはおどろいた!
「確かにそうかもしれない」
と思った。
その後、よく考えた。
70%が、低いのか高いのか、どっちが正解かの問題ではなく、
「わたしは勝手に低いと思い込んでいた」
と気づいた。
◇
"数字"というものは
何をやるにしても、
非常に重要だと思っている。
しかし、
"数字の感じ方"に正解はない
と知った。
何事もそうだが、
ものは捉えよう
である。
わたしの姉が、
あまりにも自然的に捉えた、今回の
"数字の感じ方"は、
まさに「あっぱれ」だった。
追記
主治医から骨肉腫を告知された前日が誕生日だった。昔から姉は「贈り物名人」なのだが、今年は手描きの水彩画も入っていた。1枚は 鮎の絵で、もう1枚は、お赤飯の絵だ。素人が描く水彩画だが、なかなか味があり、わたしはかなり気に入った。鮎とお赤飯の水彩画を他人から頂くことなんて、そうそう無いと思う。
つくづく、面白いヤツだ、と姉を思った。
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